亀田鵬斎「題隅田堤桜花」

題隅田堤桜花   七言絶句(上平・十三元)

長堤十里白無痕

訝似澄江共月渾

飛蝶還迷三月雪

香風吹度水晶村

 

隅田堤〔すみだづつみ〕の桜花〔おうか〕に題す

長堤 十里 白くして痕〔あと〕無し

訝〔いぶか〕る 澄江〔ちょうこう〕 月と共に渾〔なが〕るるに似たるを

飛蝶〔ひちょう〕 還〔ま〕た迷ふ 三月の雪

香風〔こうふう〕 吹き度〔わた〕る 水晶の村

 

 木母寺境内にある「題隅田堤桜花」の詩碑


【語釈】

隅田堤 隅田川東岸の堤(東京都墨田区)。「墨堤〔ぼくてい〕」とも言われる。第八代将軍徳川吉宗が「庶民が楽しめるように」と桜などを植えさせて以来、桜の名所となる。

長堤 長くつづく堤。隅田堤を言う。

澄江 清く澄んだ川。隅田川を言う。

飛蝶 飛び舞う蝶。

香風 香気を帯びた風。

水晶村 水晶のように美しい村。隅田川が増水すると、隅田堤周辺の村々が水で覆われることをふまえた表現であろう。



【鑑賞】 

墨田堤いっぱいに咲いた桜の花を詠んだ作品。木母寺(東京都墨田区)に、作者の書による詩碑が建てられ、「詩書双絶」(詩・書ともに卓絶)と言われる。


 前半では、隅田川の土手に隙間なく美しく咲き誇る桜の花と、月とともに流れているのではないかと思うほど美しい隅田川の流れを描写する。


 後半では、「飛び舞う蝶は季節外れの雪が降り積もったかのような桜に迷い込み、かぐわしい桜の香りは風とともに美しい村にゆきわたる」と、桜の蠱惑〔こわく〕的な美しさを表現している。



【作者】

亀田鵬斎〔かめだぼうさい(ほうさい)〕 1752~1826 江戸後期の儒学者。名は翼〔よく〕、のち長興〔ちょうこう〕、字は図南・公龍・穉龍、鵬斎と号した。江戸の生まれ。井上金峨のもとで共に学んだ山本北山と意気投合し、古文辞学派を排撃。時の詩壇が唐詩尊重から宋詩尊重に転ずる機運を促進した。「寛政異学の禁」に反抗して閑居し、その後、各地を旅して文化活動を行い、佐羽淡斎や良寛らと親交した。生涯仕官せず、経書を講じ、書画を売り、詩酒を友として日々を送った。豪快な詩風で知られ、書にも秀でる。