柏木如亭「木母寺」

木母寺     七言絶句(下平・五歌)

隔柳香羅雑沓過

醒人来哭酔人歌

黄昏一片蘼蕪雨

偏傍王孫墓上多

 

木母寺〔もくぼじ〕

柳を隔てて 香羅〔こうら〕 雑沓〔ざっとう〕して過ぐ

醒人〔せいじん〕は 来〔きた〕り哭し 酔人〔すいじん〕は歌ふ

黄昏〔こうこん〕 一片〔いっぺん〕 蘼蕪〔びぶ〕の雨

偏〔ひとへ〕に 王孫〔おうそん〕の墓上に傍〔そ〕うて多し

 

木母寺境内にある梅若塚


【語釈】

木母寺 東京都墨田区にある寺。隅田川沿いに位置する。

  梅若塚に生える柳を指す。梅若塚には墓標として柳が植えられた。

香羅 香気ただよう綺羅の美服。転じて、これを着た美女を言う。

雑沓 混み合うさま。ここでは花見客による混雑をいう。

醒人 酒を飲んでいない人。おそらく如亭自身を指す。

黄昏 たそがれ時。

一片 ここでは、あたり一面に降り込める小雨の形容。

蘼蕪 薬用の香草。芳草を言う。

王孫墓 梅若冢。王孫は貴公子のことで、梅若丸をいう。

 

 

 【鑑賞】

 梅若伝説ゆかりの寺を訪ね、悲運の梅若丸をあわれんだ名作。

梅若丸は京都の公卿の子であったが、五歳にして父を失い、七歳で延暦寺に入る。ところが奥州の人さらいに騙され、武蔵の隅田川まで連れてこられたところで病死してしまった。これを憐れんだ人々が梅若丸を弔って作った塚が、木母寺にある梅若塚である。


 如亭の頃、すでに隅田川沿いの地は桜の名所であり、花見客で混雑していたが、わざわざ木母寺を訪ねる人はまれであった。そのため、本詩の前半では、「梅若塚の柳を隔てた向こうは花見客で混雑しているが、梅若丸のために涙を流す人は自分くらいしかおらず、酒に酔った人々はただ歌うだけで気にもとめない」と詠む。

 

後半では、「たそがれ時、芳草をうるおす小雨が一面に降り、特に梅若塚に向かって多く降り注いでいるようだ」と、雨に涙を連想して詠んでいる。



【作者】

柏木如亭〔かしわぎじょてい〕 1763~1819 江戸後期の漢詩人。名は昶〔ちょう〕、字は永日〔えいじつ〕、如亭などと号した。江戸の人。詩を市河寛斎に学び、江湖詩社の中心的存在として大窪詩仏・菊池五山と並び称せられた。詩や画を売りながら全国各地を遊歴し、頼山陽、田能村竹田、梁川星巌らと交わった。京都で没している。